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あれから一年 [災害]

東日本大震災から1年が経ちました。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

一年前の14時46分、何をしていましたか?
私は会社でお客さまと電話をしていました。
地震ですねなんていう話が出来なくなる程の揺れに襲われ、停電で電話は不通に。
私の仕事はいわば不動産業で自社の所有している土地や建物を企業に貸しています。
ビル内にいるはずの600名くらいの方の安否を確認するために、
各フロアを廻り、怪我をした人、建物の被害が無いことを確認しました。

その後、ラジオで震源が東北であることを知りましたが、
あんな津波が襲うことになるとは思いもよりませんでした。
東北は大きな地震がたびたび発生している地域かつ、積雪地も多く、
家はかなり頑丈に作られています。
震度7でも倒壊してしまう建物は少ないはず。
そう思っていました。

自宅へ帰れないことはすぐ予測できたので、
帰宅困難になりそうな社員の夕食、朝食分、徒歩で帰る社員の行動食にと、
パン、お貸し、飲み物、懐中電灯、電池等を駅近くのスーパーに買いに行きました。
駅周辺は停電しておらず、普通に買い物が出来たのは不幸中の幸いでした。

電話もメールも中々繋がりませんでしたが、なんとか都内で仕事をしている妻とメールができ、
義理の祖父が子どもたちを迎えに行ってくれたことも知りました。
横浜市内の学校では、保護者の迎えに来られない相当数の子どもたちが学校で夜を明かしたそうですが、
長男の通っていた小学校の危機管理は酷く、
下校時間前に地震があったにも関わらず、全ての子どもたちを帰宅させていました。
後日、保護者からのクレームの嵐だったそうです。
余震が続く中、一人で家にいる時間は相当怖かったのではないかと思います。

これで会社で夜を明かす覚悟が出来てきました。
徒歩で帰宅できる社員は帰宅を始め、声を掛け合い見送りました。
残された社員は私を入れて6名。
相変わらず私の勤務先ビル周辺は停電をしていたので、食料等を持って、ビルの管理室に行きました。
しばらくして近くに住む同僚が、実家に数名泊まれるという話を持ってきてくれたので
役員がそこに行き、私の上司と私、部下、管理室スタッフで停電の復旧を待ちました。
私なんてどこでも一夜を明かせるのですが、私の部下は女性かつ妊娠中かつ翌日が結婚式の予定でした。
彼女の親戚は、一同でバスに乗り四国からこちらに向かっている途中に地震に遭い、
通行止め等を回避しつつものすごい時間を掛けて、迎えに来ていました。
その後、またものすごい時間をかけて宿泊予定のホテルに向かい、
式を予定通りに上げることができました。

停電も11時半過ぎには復旧し、スイッチが入りっぱなし電気を消して回り、
12時くらいには落ち着きました。
上司と別々の部屋で仮眠をすることになり、テレビを付けて愕然としました。
気仙沼市が火の海になっているではありませんか。。
これは現実なのか?
理解するのに、受け入れるのに相当の時間がかかりました。
そして相次いで静岡、長野で起きた震度6強の地震。
次に何が起きても良いように準備をして、体だけを休めました。

翌日明るくなって、さらに悲惨な状況が刻々と伝わってきます。
やはり神はいないと思いました。
日ごろの行い云々というのも全部嘘だと思いました。
繰り返される恐ろしい映像、自分には何もできない歯痒さに打ちひしがれていました。

妻は義父が迎えに来てくれて無事に帰宅することができ、
通信もかなり復旧していたので、連絡に不自由なことはなくなっていました。
電車も動き、私も夕方には無事に帰宅。
自宅周辺は何も被害はありませんでした。
家族の顔が見れた時は、本当にほっとしました。
自然にハグして、おおおお無事だったか!という感じ。
ガソリンのタンクや積み出しに被害が出ているというニュースが出ていたので、
その足でガソリンスタンドに向かい、給油しておきました。

これらのことは、本当に昨日のように思い出されます。

復興もままならない中ですが、被災地のためにできることは色々あります。
これからも、支援しつづけたいと思います。
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